西町緑道・栄緑道廃線跡の道【立飛線】

廃線隧道【BLOG版】 立川基地引込線跡【立飛線】
http://haisentn.blog41.fc2.com/blog-entry-402.html


記事的には、ちょっと前なんですけど。近所なんで、お出掛けしてみました。
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立川基地引込線が出来た経緯は、まずは1922年、武蔵野を切り開いて立川陸軍飛行場が作られ、飛行第五戦隊が創設されたことから始まります。
昭和に入って軍需工場が次々と建設され、立川は軍都として栄えたのです。
当然、戦時中は米軍の激しい空襲にさらされました。

立川飛行機は陸軍機専用メーカーですね。(1955年に立飛企業へ商号変更)、第二次世界大戦期までは主として帝国陸軍の航空部隊を顧客とする軍用機を製造していたのです。通称は立川・立飛等。
1930年(昭和5年)に陸軍航空技術研究所のある立川に工場を移転した為、ライセンス生産を依頼される事が多かったそうです。
中島飛行機の「隼」「疾風」「呑龍」やロッキード 14L輸送機などのライセンス生産(転換生産)を行っており、特に「隼」は半数が立川で製造されたのです。
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【一式戦闘機】
第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ43。愛称は「隼」
四式戦闘機「疾風」(キ84)とともに帝国陸軍を代表する戦闘機として、大東亜戦争における主力機として使用された。総生産機数は5,700機以上で、旧日本軍の戦闘機としては海軍の零式艦上戦闘機に次いで2番目に多い(Wiki)



戦後は米軍に接収され、 軍用飛行場として利用されました。
昭和30年、大型機発着のため立川基地の拡張が発表されると、これに激しく抵抗する砂川の住民との砂川闘争が始まり、 このため米軍は拡張をあきらめ横田基地へ移転していった。昭和52年立川基 地は全面返還され、跡地は自衛隊の駐屯地、防災基地になっており、陸上自衛隊立川駐屯地として使用されるほか、立川広域防災基地として東京消防庁や警視庁のヘリコプターも離発着をしています。

っと、言うわけで、飛行場や工場がたくさんあったということは、当時の輸送手段、線路があった訳で。
【西町緑道・栄緑道廃線跡】
戦前陸軍の立川飛行場へ立川駅から敷設された3.2kmの路線です。
KIMG1650.jpg

戦後米軍に接収された後も1968年までジェット燃料輸送に使われてました。1972年に立川基地が日本に全面返還され、不要となった線路は廃止されました。
KIMG1646.jpg


この緑地のすぐそばに、陸上自衛隊東立川駐屯地があります。
そして、今でも、航空自衛隊の補給処、そして装備技術研究を行う施設もあるんです。
KIMG1649.jpg



昭和51年には廃線になってるんで、面影はなく、よく整備された緑地として立派な公園になってますね・・・
KIMG1651.jpg

こういうのって、ブラタモリっていうか、楽しいデス。きっとLORが好きな記事だと思うのですw
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職業冒険者。前人未踏の地(ドール)の秘境ハンターですww
料理が好き。身体を鍛えるのも好きなオッサンです(*・∀・*)ノ
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でも、サブカル好きでボカロ廃でドール沼です(笑)
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